和文機関紙「平和文化」No.211, 令和5年3月号
“平和について思う”

平和研究と「平和文化」

大芝 亮

広島市立大学広島平和研究所長・特任教授、
本財団理事
大芝亮先生

1.はじめに
 広島市はその都市像として「国際平和文化都市」を掲げ、1976年に広島平和文化センターを設立しました。 同センターは毎年11月に平和文化月間として講演や行事を実施しています。
 このように「平和文化」ということばは私たちにとりなじみのあるものですが、いざ「平和文化」とは何かと問われると、答えるのは必ずしも容易ではありません。 そこで「平和文化」ということばの意味やそこに込められている意味合いについて考えたいと思います。
 
2.平和宣言における「平和文化」
 まず広島市と長崎市の2022年平和宣言において、このことばがどのように使われているかを見ておきます。
 松井一實(まつい かずみ)・広島市長は、平和首長会議は「平和を願う加盟都市との連携を強化し、あらゆる暴力を否定する『平和文化』を振興します」と述べています。 田上富久(たうえ とみひさ)・長崎市長は「信頼を広め、他者を尊重し、話し合いで解決しようとする“平和の文化”を、市民社会の中にたゆむことなく根づかせていきましょう」と言います。
 
3.平和研究における暴力と平和
 次に平和研究での議論を参考に、「平和文化」について考えてみます。 平和研究の代表的な研究者であるヨハン・ガルトゥングは、平和を暴力と対置させ、直接的暴力、構造的暴力、文化的暴力という3つのタイプの暴力を提示します。
 簡単に述べますと、直接的暴力とは、相手の身体に直接に危害を加えたり、戦争において軍隊が敵の兵士を殺傷したりすることなどです。 これに対して、誰が暴力を振るっているのか、暴力行為の主体は見えにくいけれども、人々、特に特定のグループの人々が生命を失ったり、大きな心的ダメージを受けたりする場合、そこに構造的暴力が存在するといいます。 たとえば多くの人々が貧困のために十分な医療を受けることができず、本来助かるはずの命を落とすというような状況が見られるような場合です。 また、100万人の夫が100万人の妻を殴るならばそれは直接的暴力ですが、100万人の夫が100万人の妻を無知・無学の状態に留めるならば、それは構造的暴力であると言ったりします。 最後に、文化的暴力とは、直接的暴力や構造的暴力を社会の道徳や伝統・慣習などにより許容し、正当化する考え方などを意味します。
 このような暴力を否定し、取り除き、暴力が不在となってはじめて平和であると考えます。 直接的暴力が不在となった状況を直接的平和と呼び、構造的暴力のない世界を構造的平和、文化的暴力が不在で、直接的平和と構造的平和を正当化する状況を文化的平和と言います。 そして、文化的平和と呼べる状況が私たちの社会に広がり、これが私たちの文化の特徴であるといえるようになると、そのような文化は「平和文化」と呼ぶことができます。 ただし、「平和文化」を強制的に押しつけることはやはり暴力です。
 具体的な事象についてとなると、直接的暴力は捉えやすいのに対して、構造的暴力や文化的暴力については、何がそれらに相当するのか、いつもコンセンサスが得られるとは限りません。
 
4.被爆地における「平和文化」への取り組み
 さて、被爆地では、「平和文化」についていかなる取り組みがなされてきたのでしょうか。
被爆樹木の植樹
被爆樹木の植樹
(旧広島逓信局の被爆アオギリII世の植樹、東京都・国立市提供)
 原爆で被害を受けた人々はさまざまなタイプの暴力に遭遇してきました。 原爆は人間の尊厳を徹底的に破壊するものでした。 放射線影響の不安やこれに関連する差別にも苦しめられました。 戦争を早く終わらせるために原爆は投下されたとして、これを正当化しようとする議論は怒りと悲しみをもたらしました。
 それでも、原爆で亡くなった人々の死を無駄にしないために、また核兵器が繰り返し使用されないように、原爆で被害を受けた人々は被爆体験・記憶を伝え、核兵器の非人道性を訴え、核兵器廃絶を求めてきました。 そして、日本の戦争責任の問題にも言及し、原爆で被害を受けた、日本人以外の人々にも目を向けるようになりました。 抽象化していえば、直接的暴力だけでなく、構造的暴力および文化的暴力をも取り除こうとしてきました。 こうした取り組みの一つ一つが「平和文化」をつくり、根付かせるのだと思います。
被爆樹木の植樹
被爆樹木の植樹
(旧広島逓信局の被爆アオギリII世の植樹、東京都・国立市提供)
 ただし、これまでの取り組みについて、被爆地にある人々の自己イメージと、外国や国内の他地域の人々の捉え方との間に、どのようなズレが存在するのか、またそれはなぜかを自問していくことは重要です。
 
5.おわりに
 今もウクライナでは戦争が行われています。 また東日本大震災および福島原発事故により、さまざまな暴力にさらされてきた人々は少なくありません。 被爆地において、原爆で被害を受けた人々を中心に取り組んできた活動を伝えることで、こうした人々を勇気づけることができます。
 これからは地域や国そしてイシューを超えた連帯がますます重要になります。 平和首長会議や国連等を通じて内外の人々と連帯し、また核兵器廃絶をめざすことはもとより、他のイシューでのさまざまな暴力の除去にも努めることが、「平和文化」を押しつけることなく、根づかせることにつながると考えます。
 

プロフィール
〔おおしば りょう〕
広島市立大学広島平和研究所長・特任教授。 専門:国際政治学。
一橋大学教授・副学長、青山学院大学教授を経て、2019年より現職。 元日本国際政治学会理事長。

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