「記憶の解凍」
私は被爆国・日本、そして広島に生まれ育ちました。
高校時代から、原爆投下前の日常を捉えた白黒写真を、AI技術でカラー化し、資料や対話をもとに「記憶の色」をよみがえらせ、戦争体験者の「想い・記憶」を未来へ継承する「記憶の解凍」に取り組んでいます。
大学でも、アートやテクノロジーを通した「平和教育の教育空間」を探究しています。
きっかけは2017年夏、広島の平和記念公園で平和首長会議の核兵器廃絶を求める街頭署名活動をしていた際、濵井德三
(はまい とくそう)さんと偶然出会ったことです。
生家は、原爆投下前は約4400人の暮らす広島一の繁華街・中島地区(現在の平和記念公園)で「濵井理髪館」を営んでいました。
しかしあの日、濵井さんは疎開して無事でしたが、たった一発の原爆で一瞬にして愛する家族全員を失いました。
片渕須直
(かたぶち すなお)監督のアニメ映画「この世界の片隅に」の中で「生きている」家族に会うため、何度も映画館に足を運んでいると伺いました。
「カラー化した写真をアルバムにしてプレゼントして、ご家族をいつも近くに感じてほしい」との想いで取り組み始めました。
カラー化した写真をご覧になった濵井さんは、「みんな生きとるみたい」「まるで昨日のことのように思い出す」と喜ばれました。
写真①は、1935年に撮影された、桜の名所・長寿園で家族や親戚、近所の方とお花見している写真です。
カラー化された青々とした杉並木を見て、「杉鉄砲の玉にする杉の実を取りに行きよった」「近くに弾薬庫があり幼心に怖かった」など、白黒写真を見ていた時には思い出せなかった記憶がよみがえりました。
また、桜の花や着物の色など、濵井さんの「記憶の色」をもとに色補正を繰り返します。
戦争体験者の心に寄り添い、鎮魂の想いを込めてカラー化することで、喜んでいただけることが原動力になっています。
カラー化:AIによる⾃動⾊付け
カラー化:庭⽥杏珠
国境を越える「記憶の解凍」
その後も、中島地区出身の方などに写真を提供していただき取り組み続けています。
戦争や平和について関心のない人にも「自分ごと」として想像してもらえるように、これまで映像や展覧会、国際会議での発表、「記憶の解凍」ARアプリの開発、カラー化写真集『AIとカラー化した写真でよみがえる戦前・戦争』(光文社新書)の出版、初めて作詞とコーラスに挑戦した楽曲「Color of Memory 〜記憶の色〜」の共同制作など行なってきました。
中でも、2019年4月平和首長会議高校生代表団の一員として外務省「ユース非核特使」の委嘱を受けて参加したNPT運用検討会議第3回準備委員会の派遣事業は、人道的平和と国家の安全保障の合理性について考える機会となりました。
このことは、昨年3月の岸田
(きしだ)首相との車座対話、12月の国際賢人会議を前に行われた委員と「ユース非核特使」経験者との意見交換会でも感じたことです。
委員から「昨今のロシア・ウクライナ情勢で国際社会では『安全保障』について議論されがちだが、市民社会の『平和』の大切さを忘れてはならない」とお話がありました。
市民社会の「平和」への関心を高めるとともに、国際社会でも発信する私の使命を改めて認識しました。
G7広島サミット開催 〜世界への期待〜
大学のイベントでラーム・エマニュエル駐日米大使とお会いし、また意見交換会後も「記憶の解凍」の取り組みを紹介し、アートで「心に響く」平和の伝え方に共感いただけました。
直接対話することで、心と心が通じ合えると感じます。
G7広島サミットで各国の首脳が平和公園を訪れ、核兵器の脅威はもちろん、かつてそこにあった中島地区の日常を五感で想像することで、「もう誰にも同じ思いをさせてはならない」と平和を希求する被爆者の「想い・記憶」を「おのずから伝えたい」と思う来広になることを願っています。
私はこれからも様々な表現の幅を拡げながら、ライフワークとして「記憶の解凍」に取り組み続けます。
プロフィール
〔にわた あんじゅ〕
2001年広島県生まれ。
東京大学学生。
高校時代から「記憶の解凍」に取り組む。
令和2年度「東京大学総長賞」、共著『AIとカラー化した写真でよみがえる戦前・戦争』(光文社、2020)で「広島本大賞」受賞。