和文機関紙「平和文化」No.213, 令和5年9月号

「原爆の絵」9点が新たに完成

―高校生たちが被爆体験を絵で表現―

 本財団は、広島市立基町(もとまち)高等学校普通科創造表現コースの協力を得て、同コースの生徒が被爆者と協働して、記憶に深く残っている被爆時の光景を描く、「原爆の絵」の制作に取り組んでいます。
 この度、昨年度から5人の被爆者と9人の生徒が制作を進めていた、9点の絵が完成しました。 これで平成19年度(2007年度)以来、160人を超える生徒に191点もの貴重な絵を残していただき、「被爆の実相」を伝える貴重な財産となっています。
 7月3日(月)、基町高等学校で完成披露会が行われました。 5人の被爆者と、絵を制作した9人の生徒を始めとした創造表現コースの生徒のほか、本財団及び基町高等学校関係者が出席しました。
「赤子を抱き、腕から血を噴き出しながら『助けてェー』と叫んでいる母親」
「赤子を抱き、腕から血を噴き出しながら『助けてェー』と叫んでいる母親」
制作:木村光希、山瀬潤子
 被爆体験証言者の山瀬潤子(やませ じゅんこ)さんと、3年生の木村光希(きむら みつき)さんは、「赤子を抱き、腕から血を噴き出しながら『助けてェー』と叫んでいる母親」という作品を制作しました。
「赤子を抱き、腕から血を噴き出しながら『助けてェー』と叫んでいる母親」
「赤子を抱き、腕から血を噴き出しながら『助けてェー』と叫んでいる母親」
制作:木村光希、山瀬潤子
 山瀬さんによると、原爆投下後間もなく、隣に住む薬屋のおばさんが、赤子を抱き、腕から血を噴き出しながら、山瀬さんの自宅の前の道路に出て助けを求めていました。
しかし、誰も助ける余裕はなく、近所の人は皆パニック状態でした。 その後、たまたま自宅にいた山瀬さんのお兄さんが止血をしてあげました。
 このように叫び続けるおばさんの様子が忘れられず、山瀬さんは、絵の題材とすることを決めたそうです。 「後世にも戦争の悲惨さが伝わる絵になった。」と、絵を描いた木村さんに感謝を述べていらっしゃいました。
 木村さんは、「叫ぶ表情」、「血の噴き出している様子」、「赤ちゃんを抱えている状態」という3つの要素を表現するのに苦労したそうです。 そのため、「自身で叫んでいる表情を何度もつくってイメージを膨らませたり、噴き出している血の勢いや量、色などについて、披露会3日前まで山瀬さんと電話やメールで調整を重ねた。」ということです。 また、「絵を見た人に当時の様子をリアルに伝え、心に響く作品に仕上げることを心掛けた。」とおっしゃっていました。
 そして、木村さんは、この絵を通じて「少しでも多くの若い世代の人たちに戦争の悲惨さを知ってもらい、当たり前ではない“平和”がいかに幸せなことか、考えるきっかけになってほしい。」と披露会でのスピーチを締めくくりました。
 被爆者と生徒のこうした努力により完成した「原爆の絵」は、被爆体験を具体的に理解してもらうために被爆者の講話で活用するほか、絵の貸出や、市民やマスコミ等への画像データの提供なども行い、「被爆の実相」を後世に継承するために、今後とも役立てていきます。
(平和記念資料館 啓発課)
 
公益財団法人 広島平和文化センター
〒730-0811 広島市中区中島町1番2号
 TEL (082)241-5246 
Copyright © Since April 1, 2004, Hiroshima Peace Culture Foundation. All rights reserved.