和文機関紙「平和文化」No.215, 令和6年3月号

~ウチも、ワシも~ 広島市民じゃけえ!

―外国から来て広島市民になった人にお話を伺いました―

マラカイ・ネルソンさん(アメリカ)
マラカイ・ネルソンさん(アメリカ)
マラカイ・ネルソンさん(アメリカ)
 突然ですが、自分自身と、これを読む皆さん1人1人に問いかけます。 “What can I (you) be?”(私(あなた)はどうなり・何ができるでしょうか。)
 新しい人、文化、言語を知りたいという思いから、国際ボランティア団体を通じて広島のNPOワールドフレンドシップセンター(WFC)と出会い、2年前にアメリカから来て、館長をしています。 WFCは、広島から草の根の反核・平和運動に尽力したアメリカ人、バーバラ・レイノルズが1965年に設立し、今も世界中から訪れる人に、平和を考える場を提供しています。
 広島に関わる経験、思いを語る前に、私のアイデンティティにつながる原体験について話をさせてください。 私は18歳の時から10年近くアメリカで介護の仕事に就いていました。 実はアメリカでは、お年寄りは身体や知力が衰えた人として、あまり敬意を払われる存在とみなされていません。 年上を敬う文化の日本の方がお年寄りに温かいと感じます。 しかし、私はお年寄りたちから貴重な学びを得ました。 彼らは、社会貢献活動の一員として、職業人(プロ)として、あるいは親として、様々な経験から培った思慮深さを持っており、その話を聞くことはとても光栄なことでした。
 また、知的障害を持つ50代の利用者との出逢(であ)いは、私の考えを大きく変えました。 彼を担当し始めた頃、私は良かれと思って「あなたはもっとこう出来るはずだ。」、「こうあるべきだ。」と励ますようにしていました。
 しかし、ある時、先輩の看護師や社会福祉士などから、「彼のゴールは彼が決める。自己決定権の尊重こそが、彼の尊厳を守ることだ。」と何度も私に根気強く諭しました。 私は徐々に、自分には、「彼に自分の理想を叶(かな)えてほしい。」という隠れた支配欲求や、「相手に何か与えたい。」「自分は意義あることをしている。」という、おこがましさや、ある種の“上から目線”があったことに気づいていきました。
 この時の経験から「不完全さや弱さこそ、美しさ」だ、「成功・満足の定義は人によって異なる」という思いを持つようになりました。 年を取り衰えても、ありのままの生きる姿が美しく、年月を掛けたからこそ出来た道程は、それぞれが興味深いという発見から、自分や他者の不完全さや弱さを肯定する視座を得ました。
 WFCには、好奇心旺盛でイキイキとして、かつ、年を重ねたからこそ思慮深さがある被爆者や、その仲間(私と同世代も多い)がいて、私にはとても居心地が良い場所です。
 他方、「不完全さや弱さこそ、美しさ」という視点からすれば、私は、被爆者が必ずしも悲惨な経験や平和への思いを語る義務はないと考えています。 もちろん、雄弁に語り、行動する被爆者を大変尊敬しています。 一方で、別の社会貢献活動に黙々と取り組んでいる人や、趣味でガーデニングや手芸にいそしんでいる人、その人たちの中にも、戦争のトラウマを抱えながら、静かにそれと向き合っている人もいるでしょう。 義務でもないのにつらい過去を私に話し、対話してくださること、あるいは、被爆者が「ただ、そこで生きている」事実。 その両方が、私にとってのギフト(大きな喜び)なのです。
 私はこのように世代や文化等が異なる人と出会い、話をして、ギフトを得てきましたが、みなさんはどうですか? 日本社会は均質性が高いと言われ、実は私自身も、日本で自分だけが違う意見を持っていると、孤独を感じることもありました。 でも、私が介護する方から、あるいは被爆者から、違いを通じて大切なことを学んだように、みなさんや日本社会も、私から何かギフトを得ていただけたら嬉(うれ)しいです。 異なる文化背景、考え方の違いから学ぶこともあるでしょうし、共通性を見つけて喜び合うことも出来るでしょう。 違うからこそ、関わり合い、尊重し、助け合える、そんな社会を共に作って行きたいです。
 最後に、私はこの約5ヵ月間、連日仲間たちと共に、パレスチナの平和を願い、訴えながら、原爆ドームの前に立ち、行きかう人と対話をしています。 パレスチナでは歴史上類を見ないような膨大な数の市民も犠牲となっています。 この対話の場は誰にでも開かれていますので、あなたも是非来てみてください。
 私は、自分の心の中にある他者への優越性を否定し、それぞれの人の自己決定権を尊重するために、「パレスチナ人はこうするべき。」「ハマスはこうするべき。」「イスラエル人はこうするべき。」と言うつもりはありません。 ただ、「私がどうなり、何ができるのか。」と自分に問い、行動するのみです。 介護職時代に「相手にこうしてほしい。」、「相手に与えたい。」という支配欲求や「上から目線」に気づいたからです。 「アメリカ人として、アメリカの歴史と社会責任を負って何ができるのか。」を、追及しています。 不完全で弱い人間のまま、平和のために何ができるか考えています。
 最後にもう一度お聞きします。“What can I (you) be?” 私(あなた)は、どうなり・何ができるでしょうか?  被爆者のために、パレスチナや世界の様々な場所で殺される人のために。 一緒に考えましょう。
 
公益財団法人 広島平和文化センター
〒730-0811 広島市中区中島町1番2号
 TEL (082)241-5246 
Copyright © Since April 1, 2004, Hiroshima Peace Culture Foundation. All rights reserved.