和文機関紙「平和文化」No.216, 令和6年6月号

「核兵器による人道的結果」が明確に示している核軍縮緊急性

アレクサンダー・クメント

オーストリア 外務省軍縮軍備管理不拡散局長大使
アレクサンダー・クメント

アレクサンダー・クメント

オーストリア 外務省軍縮軍備管理不拡散局長大使

 核兵器禁止条約(TPNW)の根拠となっている考え方は、核兵器の使用がもたらす人道的結果が極めて深刻であること(莫大(ばくだい)な破壊力等により、地球規模の影響をもたらし、人類の生存さえ脅かしうること)に加え、核兵器に関連するリスクが高すぎることから、核抑止は、国際安全保障の持続可能な基盤とはなり得ないという主張です。
 次々と発表される科学的証拠により、核兵器使用の影響は、これまで考えられていた以上に世界的、連鎖的、かつ壊滅的になることが実証されています。 たとえ「限定的」な核兵器の応酬であっても、すべての国々とその国民が、地球上のどこにいようとも、様々な形で副次的被害者になるリスクにさらされています。 それ故、核兵器禁止条約は、核抑止による安全保障のパラダイムは、非常に不安定で、壊れやすく、持続可能でないだけでなく、非核保有国ひいては全人類の安全保障を著しく損なうと結論付けています。
 世界的に核のリスクが増す今、この懸念は正当なものであるだけでなく、根拠に基づくもっともな安全保障の視点を表しています。 TPNWの支持者たちは、条約の中で、一国または複数国による声明の中で、第一回および第二回の締約国会議で採択された宣言の中で、この視点を繰り返し強調してきました。
 しかし、核保有国やその多くの同盟国は、核兵器と核抑止が「究極の安全保障」を提供すると信奉しています。 これこそが、核軍縮の進捗を妨げ、核兵器のない世界に向けた進展を阻害している主たる原因です。
 実際に進展を望むのであれば、パラダイムの転換が必要であり、核兵器に関する議論を変える必要があります。 核抑止の安定性を前提とし、核兵器が紛争で使用されることは最終的にはないとの考えから脱却し、核抑止が失敗した場合の人道的結果について具体的に熟考すべきなのです。
 これがTPNWの先駆けとなった人道的イニシアティブ(「人道的・人類的アプローチ」)の核心でした。 核兵器が爆発した際の人道的結果に関する国際的な議論を重視し、科学的証拠に基づいて、核兵器が使用された場合に何が起こるのかを具体的に推定し、核兵器に関連するリスクの複雑さにも焦点を当てました。
 このプロセスにおいて、2012年から2015年にかけて、核兵器の人道的影響に関する新たな証拠を提示し、また、核リスクについて理解することを目的とした、一連の国際会議が開催されました。
 人道的影響に関し、中でも重要だったのは、いわゆる限定的核戦争、つまり今日現存する核兵器がごくわずか使用されただけでも、核の冬を引き起こす可能性があるという新たな証拠でした。 核爆発が引き起こす大火災により、大量のばい煙が大気の高層部へと運ばれ、地球全体に拡散され、数年間にわたり、中緯度の多くの地域で気温が大幅に低下する核の冬が生じるのです。 主食作物の生産は世界的に大打撃を受けることになります。
 この新しい科学研究は、気候変動科学からの派生物ですが、これは核兵器の議論に大きな影響を与えました。 北半球の2つの国家間の核戦争が、南半球、例えばサハラ以南アフリカで飢餓を引き起こすとしたら、これは深刻な法的および倫理的問題を提起するものであり、現状の核兵器の正当性について疑問を投げかけるからです。
 同様に、一連の国際会議の場で、核リスクの複雑さへの理解が深まったのも顕著な特徴でした。 ほとんどの国が、核兵器システムが、いかに危険で、脆弱(ぜいじゃく)であるかを示す過去の事例に衝撃を受け、これまで人類は、幸運に恵まれたというだけの理由で、幾度となく核災害や事故から逃れてきたのだと知り、驚愕(きょうがく)しました。
 しかし、おそらく最も重要だったことは、被爆者や核実験の被害者に発言の機会が与えられたことでした。
 被爆者は、会議に参加し、自らの恐ろしい体験を証言しました。 太平洋やカザフスタンなどの過去の核実験の被害者も同様です。 このことは、議論の方向性を、非常に抽象的で、理解の難しいトピックから、具体的な人間の体験へと変化させました。
 この核兵器の使用による人道的結果とリスクに関する新たな議論は、非核保有国の間に、大きなうねりを生み出しました。 2015年までに、国連において、159カ国が、核兵器のもたらす非人道的な結末に深い懸念を示す共同声明を支持しました。 また、138カ国が、オーストリアが提案した「受け入れがたい非人道的な結末及び関連リスクの観点から、核兵器の禁止に向けた法的なギャップを埋める」ための誓約を支持し、2017年の国連における核兵器禁止条約の交渉と採択へ向けたモメンタムを生み出しました。
 TPNWは、まだ若い条約です。 現時点では、93カ国がこの条約に署名し、そのうち70カ国が批准しています。 この条約は、世界の核秩序において蚊帳の外に置かれていた大部分の国々に意見を表明する機会を与えた点で、すでに大きな影響を及ぼしています。 TPNWを普遍化していくことと、核兵器の禁止に関する議論が、この条約の主要な目標です。 TPNWの署名国は、市民社会団体と共に、この目標を着実に追求し続けます。
 そこには、より多くの国々に条約への参加を求める取組が含まれます。 なぜなら、TPNWの批准と署名が進むほど、その規範的価値が世界規模で高まることになるからです。
 同時に、核兵器の人道的結果とリスクに関する理論的根拠を推進し続けることも同様に重要です。 核軍縮の進展を促し、不安定な核抑止パラダイムから脱却することが喫緊の課題であることを明確に示すものだからです。
 TPNWの多国間の取組は、核兵器と安全保障の問題に関し、代替的なアプローチを示しています。 同条約は核兵器の放棄を強制できるわけではありませんが、強力な議論と証拠を通じて、核兵器には正当性、合法性、および持続可能性が欠如していることについて、説得力のある論拠を提示しています。 核兵器国が、核軍縮に向けて具体的な取組を始め、不安定な核抑止体制から脱却する準備が整った時のための基盤を、同条約は築くことができます。
 ほとんどの核開発が軍縮とは逆方向に向かい、核保有国のリーダーシップが不在であるという極めて暗い現状において、TPNWは不可欠であり、重要な希望の光となり得る可能性を秘めています。
(2024年5月)
《本稿で表明された見解は、著者個人のものであり、必ずしもオーストリア外務省の立場を反映するものではありません》
 
アレクサンダー・クメント
ウィーン、ジュネーブ、包括的核実験禁止条約機関などの準備委員会で軍縮や核不拡散に関する問題に従事。 2016年から2019年まで、EU政治・安全保障委員会のオーストリア常駐代表(大使)。 核兵器の人道的影響に関するイニシアチブや核兵器禁止条約(TPNW)の立案者の1人(TPNW第1回締約国会議議長)。
 
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