令和8年(2026年)3月28日、広島平和記念資料館東館1階に「ヒロシマは訴える」コーナーがオープンしました。
このコーナーは、資料館本館展示を見終えた来館者が、核兵器の非人道性への理解を更に深め、核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に向けて、自分たちに何ができるのかを考える場として整備したものです。
オープン当日は、東館地下1階メモリアルホールでオープニングセレモニーを行い、岸田文雄
(きしだ ふみお)元首相をはじめとした国会議員や松井一實
(まつい かずみ)広島市長が出席しました。
また、中満泉
(なかみつ いずみ)国連事務次長兼軍縮担当上級代表からの「来場者は、この展示室を歩くことで、単に核兵器について学ぶだけでなく、その人的被害を目の当たりにし、なぜ核兵器を廃絶しなければならないのかを理解できます。」というメッセージを紹介し、当財団の谷史郎
(たに しろう)副理事長が展示の趣旨を説明しました。
新しい展示は、昭和23年(1948年)に開催された第2回平和祭の写真から始まります。
原爆ドームの対岸にあった平和広場が式典会場となり、「NO MORE HIROSHIMAS」の看板が大きく掲げられている様子が写されています。
戦後間もない時期から、広島が世界に向けて発してきた平和への訴えを伝えるものです。
続いて、86インチの大型モニター2台で、被爆者の証言映像とスライドショーを紹介しています。
1台目のモニターでは、「被爆者は証言する」と題し、約6分間の映像で9人の被爆者の証言を紹介しています。
被爆者が描いた「原爆の絵」も交えながら、核兵器の使用が都市や人間にどれほど壊滅的な被害をもたらすのかを伝えています。
被爆当日、建物疎開作業に動員され、爆心地から1.5kmの距離で被爆した森下弘
(もりした ひろむ)さん(当時14歳)は、原爆のさく裂の瞬間を「全体が大きな真っ赤に燃えたぎっている高熱の溶鉱炉の中に投げ込まれた。そういう感じでした。」と映像の中で証言しています。
また、8月6日入市・被爆し、6度目のがんを患っている新井俊一郎
(あらい しゅんいちろう)さん(当時13歳)は、「原爆の影響は、80年前に終わったのではなく、現在も日本中にいる被爆者全員に、私のような影響を及ぼしています。」と証言しています。
さらに、爆心地から2.5kmの自宅で被爆した八幡照子
(やはた てるこ)さん(当時8歳)は、「絶対にこういう惨事にみなさんをあわせたくないという思いがいっぱいです。」と語っています。
2台目のモニターは、「人類は核兵器とは共存できない」というタイトルで約5分のスライドショーが展開します。
被爆者の粘り強い取り組みやそれが原動力となった、2010年NPT再検討会議最終文書での「核兵器の使用がもたらす壊滅的な人道上の結末」への言及、核兵器禁止条約の成立、日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)のノーベル平和賞受賞など国際社会の動きを伝えています。
一方で、世界には今なお多くの核兵器が存在し、核軍縮は停滞しています。
核兵器使用の危険が現実味を帯びる中、ヒロシマとして、核兵器のない世界の実現を共に目指していくことを強く呼びかけています。
また、モニターの横には、日本被団協が受賞したノーベル平和賞のメダル(複製)を紹介し、展示の最後には、来館者が平和のために自分にもできる行動の一つとなるよう、当財団が実施する平和文化の振興事業のための寄附箱を設置しました。
リニューアル後、東館2階から階段を降りてきた来館者が足を止め、被爆者の証言映像に見入る姿や、スライドショーを見ながら意見を交わす海外からの来館者の姿も見られます。
資料館本館展示で被爆の実相に触れた人々が、このコーナーを通して被爆者の訴えを改めて受け止め、平和のために何ができるのかを考え、行動するきっかけとなることを願っています。
(平和記念資料館 学芸展示課)