解説
放射線が人体に与える影響について
広島大学原爆放射線医科学研究所 所長 松浦 伸也
プロフィール
〔まつうら しんや〕
昭和60年 山口大学医学部卒業
平成 2年 山口大学大学院博士課程修了 医学博士
平成 3年 日本学術振興会 特別研究員
平成 5年 英国セントメアリーズ病院医学校 訪問研究員
平成 7年 原爆放射線医科学研究所 助手
平成11年 同上 助教授
平成14年 同上 教授
平成28年 原爆放射線医科学研究所 所長

はじめに
 昭和20年8月6日に広島に原子爆弾が投下されて70年余が経過しました。 原爆投下国の現職大統領であるオバマ氏が被爆地広島を初めて訪問した平成28年5月27日は、人類にとって歴史的な一日となりました。 オバマ氏は演説で科学技術の二面性に言及し、科学技術の進歩には社会の進歩を伴う必要があり、科学技術のみが先行するとそれによって人類が破滅することもあり得ることを被爆地広島が教えてくれたと述べました。 原爆の最大の特徴は、通常の爆弾では発生しない大量の放射線が地表に放出されて、人体に被ばくによる障害を及ぼすことです。 本寄稿ではとくに放射線が人体に与える影響について解説したいと思います。

急性障害と晩発性障害
 放射線を大量に浴びると急性障害が現れます。 急性障害は、前駆期・潜伏期・発症期・回復期の4期に分けられます。 被ばく48時間以内には、自律神経系の経路を介して全身脱力・嘔気(おうき)嘔吐(おうと)などの初期症状が発現し、この期間を前駆期と呼びます。 初期症状までの時間は高線量ほど短く、少ない被ばく線量では明らかな症状を示さないこともあります。 その後、倦怠(けんたい)や疲労感の他は無症状となる期間があり、これを潜伏期と呼びます。 放射線に抵抗性の細胞が生き残って機能を果たしているために無症状になるとされています。 約3週目から2ヵ月後にかけて脱毛や口内炎、さらには造血障害による免疫の低下や出血傾向、消化管障害による嘔吐、下痢などを起こし、これらが組み合わさって重症感染症や吐血、下血を来たします。 この期間を発症期と呼びます。
 放射線を被ばくした細胞は細胞分裂が異常になるので、細胞が活発に分裂しているような組織・臓器は放射線に弱く、高感受性です。 組織にはとくに盛んに分裂している部分があり、ここに幹細胞が存在します。 幹細胞は組織を構成する細胞の元になる細胞で、1つの幹細胞が分裂すると、できた2つの細胞の1つは幹細胞として残り、もう1つは組織の細胞に分化します。 幹細胞はとくに放射線に弱く、高感受性です。
 皮膚は放射線高感受性の代表的な組織です。 その表面から表皮、真皮、皮下組織の3層に分けられます。 表皮の一番深いところに幹細胞が存在し、皮膚に放射線が当たると幹細胞が傷害されて、その線量に応じて紅斑(こうはん)や脱毛、水疱(すいほう)形成、皮膚潰瘍(かいよう)を起こします。 線量が高い場合は壊死(えし)も起こります。
 小腸も放射線に高感受性です。 小腸の内腔(ないくう)小腸絨毛(じゅううもう)とよばれる細かな突起に覆われています。 この小腸絨毛の間には陰窩(いんか)と呼ばれるくぼんだ部分があり、この底に幹細胞が含まれています(図①>>)。 幹細胞やそれから生まれた若い細胞が分裂し、消化吸収を司る細胞に分化して上方へどんどん移動して絨毛を形成します。 大量の放射線が小腸に当たると陰窩にある幹細胞や若い細胞が傷害されて、絨毛が十分形成されなくなります。 そのために小腸の消化吸収機能が失われて下痢や下血が起こります。
 造血幹細胞も放射線に高感受性です。 骨髄には造血幹細胞がたくさん含まれており、この幹細胞か
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ら赤血球、白血球と血小板が作られます。 骨髄が放射線被ばくすると、まずリンパ球が減少し、次に白血球と血小板が低下します。 リンパ球が減るとウイルスなどに対する免疫力が低下します。 白血球が
減少すると細菌などの感染症にかかりやすくなります。 血小板が減少すると出血が止まりにくくなります。 被ばく後3ヶ月を過ぎると放射線障害は回復傾向を示し、この時期を回復期と呼びます。
 急性障害の症状が落ち着いてしばらく経つと、晩発性障害が出現します。 晩発性障害の代表的なものは「がん」です。 広島・長崎の原爆では被爆後6~7年の潜伏期を経て白血病が多発しました(図②>>)。 白血病のピークが過ぎた後、固形がんが潜伏期10~40年かけて線量に依存して増加しました。 被爆後70年以上が経過しましたが、現在でも被爆者の固形がんの発がんリスクが高いことが知られています。

確定的影響と確率的影響
 放射線の人体影響は、確定的影響と確率的影響の二種類に分けられます(図③>>)。 確定的影響には、放射線による白内障や皮膚、骨髄における造血能力の低下、消化管障害があります。 確定的影響にはしきい値が存在し、しきい値以下の線量を被ばくしても影響はありません。 しきい値を超えた線量を被ばくすると病気を発症します。 横軸に放射線の被ばく線量を、縦軸に病気の発症頻度をとってグラフを作ると、確定的影響では図③>>の上側のグラフのようにS字のカーブを描き、一定限度を超えた放射線を浴びるとすべての人が発症します。 一方、晩発性障害の代表的な「がん」は確率
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的影響に分類されます。 確率的影響では放射線被ばく線量が増えるにつれて発病リスクが増します。 固形がんの場合、図③>>の下側のグラフのように直線的に発生頻度が増加します。 しきい値のある場合には、それを超えないように放射線量を抑えれば、放射線障害は発生しません。 一方、放射線防護の観点から、放射線発がんにはしきい値はないと国際放射線防護委員会(ICRP)では考えています。 これを「直線しきい値なし仮説(LNT仮説)」と呼びます。 すなわち、いくら低い線量であっても発がんのリスクがあると仮定しているので、容認できるレベルまで被ばく線量を抑える必要があります。 しかしながら、確率的影響の「がん」のリスクについては、後述するように、特に低線量域において多くの課題が残されています。

放射線障害の仕組み
 細胞の中では、遺伝子DNAからメッセンジャーRNAが作られ、その暗号を解読してアミノ酸配列に翻訳することによって様々なタンパク質が作られて人体が構成されています。 放射線は人体を構成する
様々な生体分子に傷をつけますが、とくにDNA二重らせんが2本とも切断したときに細胞に影響が及びます。 これに対して、細胞にはDNAの傷を修復しようとする能力が備わっており、放射線によるDNAの傷は修復タンパク質によって元通りに修復されます。 図④>>は、培養細胞に放射線を照射して、特殊な染色方法を用いて細胞の核を観察したものです。 放射線を浴びた細胞では、修復タンパク質が黄緑色の塊を形成していることが分かります。 この塊の部分で、DNAの傷が元通りに修復されています。 少量の放射線被ばくで生じたDNAの傷は、細胞の修復タンパク質によって元通りに修復されて細胞は正常に維持されています。 一方、大量の放射線を被ばくすると、DNAに多数の傷が生じてしまい、こうした多数の傷は修復タンパク質によって修復することができないために修復エラーが蓄積されていきます(図⑤>>)。 DNA修復エラーが溜まっていくと、こういった細胞は細胞死を起こします。 その結果、放射線感受性の高い臓器・組織から機能が傷害されて、急性障害を引き起こします。 一方、DNAの修復エラーを持ちながらも細胞が生き延びてしまうこともあり、この場合にはDNA上の遺伝子に異常が蓄積されることによって、がん細胞になることがあります。 これが晩発性障害の「がん」の仕組みと言われています。

低線量放射線・低線量率放射線による影響
 これまで述べたように、一度に大量の放射線を浴びると確実に急性症状が現れ、後にがんを発症するリスクが高くなります。 一方で、被ばく線量が
100ミリシーベルトよりも少ない低線量被ばくでの発がんリスクの理解は、混沌としています(図⑥>>)。 国際放射線防護委員会(ICRP)はどんなに少ない被ばくでも、線量に応じた健康影響があると仮定して、「直線しきい値なし仮説(LNT仮説)」を提唱し、より安全側にたって身を守る防護モデルとして多くの研究者から支持されています。 しかし、実際の影響が直線になるのかどうか異論も多く出されており、低線量域では細胞のDNA修復能によりDNAの傷が元通りに修復されるため健康
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リスクを生じないとの考え方や、これとは反対に、放射線で傷ついた細胞は放射線を浴びていない周辺の細胞にも影響を及ぼすために、低線量域ではがんリスクがより高くなるとの主張もあります。
 現在の放射線防護の考え方では、放射線被ばく量は積算線量を元にして健康リスクの推定がなされています。 しかし、放射線の被ばく線量が同一でも、被ばく時間に違いがあると生物影響が異なることがわかっています。 すなわち、低線量被ばくは「高線量率」低線量被ばくと「低線量率」低線量被ばくに分けられます。 「高線量率」低線量被ばくは、X線やCT検査などの医療放射線被ばくが代表的です。 一方「低線量率」低線量被ばくは、低い線量の放射線を長時間持続して被ばくする場合で、積算すると高線量になることもあります。 国際線の飛行機や自然放射線が高い地域などがこれに当たります。 放射線のがんリスクは、広島・長崎の原爆の疫学調査に基づいて推定されていますが、原爆の「超高線量率」高線量被ばくのデータを一律に低線量域に当てはめて良いものかとの議論もあります。 豪雨と小雨で土砂災害の程度が異なるように、「高線量率」低線量被ばくと「低線量率」低線量被ばくでは生物影響が異なる可能性も考えられており、今後解決すべき重要課題の一つです。
 大規模な原爆疫学研究によっても100ミリシーベルト以下の低線量放射線被ばくの人体影響は未解明です。 このため、科学的根拠に基づく低線量・低線量率放射線影響評価のブレークスルーが求められています。 広島大学原爆放射線医科学研究所、長崎大学原爆後障害医療研究所、福島県立医科大学ふくしま国際医療科学センターは、ネットワーク型共同利用・共同研究拠点「放射線災害・医科学研究拠点」に共同で申請して、文部科学省により認定されました。 3大学(広島大学原爆放射線医科学研究所が中核拠点)は、昨年4月から共同利用・共同研究の拠点活動を開始し、低線量放射線影響とリスク研究などの研究課題に取り組んでいます。

最後に
 広島大学は、被爆地広島に開学した大学として、平和を希求する人材を輩出する使命を担っており、その取組みとして、「平和科目」を開講して広島大学の学生に平和について考える機会を提供しています。 私自身も平和科目「医学から見た戦争と平和」の講義を担当させていただいております。 さらに新しい取組みとして、広島大学と広島平和文化センターが連携して学術調査や研究を実施することとなり、昨年12月に広島大学で、越智(おち)光夫(みつお)学長と小溝(こみぞ)泰義(やすよし)理事長が協定書に調印されました。 この協定により、広島大学の学生を対象とした平和教育の充実や、同資料館の資料収集の強化や共同研究などでさらなる連携を深めるとともに、広島平和文化センターと原爆放射線医科学研究所が保有する被爆資料について共有する取組みを検討し、劣化が激しい被爆資料のデジタル化やアーカイブ化を共同で進めて資料の再評価につながることを目指します。 原爆放射線医科学研究所も、こうした取り組みを通じて平和の思いを世界に発信していきたいと考えています。
(平成29年3月寄稿)

【参考文献】
1. 「原爆放射線の人体影響 改訂第二版」(放射線被曝者医療国際協力推進協議会編) 文光堂 2012年5月
2. 「放射線の基礎を学ぼう」(山本 修) 文芸社 2016年6月
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