“ヒロシマの心”を発信する人々
音楽に残る広島とヒロシマ 〜「ヒロシマと音楽」委員会の活動〜
委員長 能登原由美さんに聞く
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「ヒロシマと音楽」実行委員会の発足
発足は1995年です。
当時、広島大学大学院での私の指導教授(原田宏司)が委員長を務めていました。
教授から伺った話では、「ヒロシマ」を題材にした音楽作品が非常に多いにも関わらず、映画や文学作品とは違い、整理、記録が本格的に行われておらず、資料や記録が散逸して作品の存在自体が知られずに消えてしまう危険があったため、RCC中国放送が被爆50周年記念事業として始めたそうです。
その際、音楽関係者を中心に、マスコミ、広島市、市民団体の関係者が少しずつ加わり、「ヒロシマと音楽」実行委員会という名称で発足しました。
ヒロシマに関わりのある内外の曲の情報を収集するとともに、音源を確認、資料を発掘して「ヒロシマに関する音楽」のデータベース化を目指しました。
ただ、ゼロからのスタートということではなく、広島大学の教授だった故芝田進午さんが1980年頃から「原爆音楽」の収集と紹介を積極的に行っておられ、その資料も大変参考になったようです。
また、これらの曲の音源を確保するために演奏会を開くとともに、「ヒロシマと音楽」という30分のラジオ番組が製作され、その中でこれらの曲が紹介されています。
1995年から2002年まで放送されました。
その結果、データベース化された作品は1,816曲、コンサートは22回行われ、そこで音源化された曲は110曲となり、実行委員会は2002年に解散しましたが、引き続き活動を続けようと元委員の有志が集まり、同年、「ヒロシマと音楽」委員会として再スタートを切りました。
音楽作品データベースを残す
収集した1,800曲余りの作品データベースは2004年に広島平和文化センターに移管され、現在は平和記念資料館のウェブサイト「平和データベース>>」で閲覧できます。
また、その一部は資料館地下1階の情報資料室で視聴することができます。
さらに、作品データのリストとともに、こうした活動を振り返る内容の本『ヒロシマと音楽』(汐文社)を2006年に出版しました。
コンサート「ヒロシマ・音の記憶」
私は2007年に委員長職を引き継ぎました(ただし2013年〜14年は渡部朋子(NPO法人ANT−Hiroshima代表)が委員長)。
本の出版後はデータベースの補充だけを細々と行っていたのですが、データベースの状態では「音楽ではない」という気持ちが強くなり、実際に音にして広く紹介する必要を感じたため、2010年から毎年コンサートを始めました。
ただし、予算の問題(公的な支援が確実ではなく、
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運営費は委員が自発的に払う年会費のみ)やコンサートを準備する人員の不足も懸念されたため、当初から5年間だけの計画としました。
企画や資金集めなどの運営の指揮を取ったのは私で、委員のうち演奏家の人には演奏をお願いし
(ピアニストのM本恵康、
歌手の藤田真弓、
乗松恵美など)、
またRCCのOBの委員(元実行委員会の事務局長で現在副委員長の小森敏広、
また当時委員だった元RCCアナウンサーの井尾義信、
ディレクターの才木幹夫など)には、広報や音源の作成関連、司会などをしていただきました。
また、2011年から徐々に若いメンバー(現在事務局長の光平有希、
竹下可奈子、
大迫知佳子)が入会し、会計などの仕事を少しずつお願いして引き継ぎを始め、最後の5回目(2014年)は光平に企画や運営の指揮を取ってもらいました。
こうして、予定していた5回のコンサートを終えたのですが、被爆71年目となった今年、改めて「ヒロシマ」を振り返り、これからを考えるきっかけになればと、7月にコンサートを行いました。
今回のコンサートでは、被爆者自身による「ヒロシマ」の音楽(川崎優さん、
竹西正志さん)や、
詩(橋爪文さん)を取り上げることによって、被爆を抱えて70年余り生きてきた痛みや思い、死者を悼む心に耳を傾ける内容としました。
また、曲の内容や再演の意義が少しでも伝わればと、今回は私自身が曲間に解説を行う「レクチャー・コンサート」の形式としました。
コンサート「ヒロシマ・音の記憶Vol.5〜生きる〜」 (2014.12.13, 広島流川教会)
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コンサート「ヒロシマ・音の記憶Vol.1〜出会い〜」 (2010.7.17, 広島市東区民文化センター)
コンサート「ヒロシマ・音の記憶Vol.2〜繋がり〜」 合同合唱団 (2011.6.25, 広島市東区民文化センター)
コンサート「ヒロシマ・音の記憶Vol.4〜継承〜」 福山公演 (2014.2.9, ふくやま芸術文化ホール)
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音楽をテーマに様々な活動を
委員会では「広島の音楽史」編纂プロジェクトも行っています。
このプロジェクトは、被爆後のことばかりが語られがちな広島について、戦前(明治以降)のことを振り返ることにより、広島の「今」をもっと根底から見つめ直したいという思いで2009年に始めました。
それまで、終戦以前の広島の音楽の歴史については、「原爆によって人材や資料が焼失してしまったために洗い出すのが困難」という認識が広島の音楽関係者の間にずっとあったため、ほとんど調査されていませんでした。
また、被爆後の音楽活動について、高齢となっている関係者の聞き取りや資料の発掘には時間の猶予がないということも、始めるきっかけになりました。
ですから、まずは関係者への聞き取り調査から始めましたが、委員の中に広島の音楽業界に詳しい才木幹雄(「第九ひろしま」の仕掛人)がいたため、広島の音楽界の重要人物へのインタビューを行うことができました。
「広島学生音楽連盟」
インタビュー調査の中で出会ったのが、「広島学生音楽連盟」のメンバーの方々です。
特に、団体発足時の中心人物、原田雅弘さんと千葉佳子さんへのインタビューでは、被爆の翌年から広島の学生(17〜19歳)が集まって音楽団体を結成し、復興チャリティーコンサートを盛んに開催した事実が明らかになりました。
当時の若者たちの情熱を今の若者にも伝えようと、当時の学生たちが行ったのと同じように、混声の合唱団を結成して2011年にコンサートを開催しました。
広島の女学院高校、安田女子高校、崇徳高校の3つの高校合唱部による合同合唱団です。
その際、被爆直後と現在の2つの時代の若者の姿を映像として残そうと、ANT−Hiroshimaと共同でドキュメンタリー映画を製作しました。
ANT−Hiroshimaにはインタビューの撮影場所も提供していただきました。
監督には、ドキュメンタリー映画作家として実績のある広島在住の青原さとしさんを起用しました。
この映画は2013年に完成し、その年の夏に広島の横川シネマで一般公開しました。
上映の際には「広島学生音楽連盟」メンバーだった方が何人か見に来てくださったようで、そのうちの1人から連絡があり、さらにインタビューを重ねて当時の様子を知ることができました。
その後、2015年には「広島学生音楽連盟」に関する解説を付けたDVDを製作(非売品)し、広島市立図書館、広島県立図書館、国会図書館や関係者に寄贈しています。
なお、「広島の音楽史」編纂プロジェクトについては、その後、戦前、戦中の貴重資料が見つかり始めたため、新たに委員会に加わった若手音楽研究者による学術的なプロジェクトとして行うことにしました。
その結果としてシンポジウムなどを開催しています。
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DVD「音の記憶・つながり」
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シンポジウム「ヒロシマ復興と広島流川教会との歩み―思想・ 活動・音楽―」(2014.11.29,広島市まちづくり市民交流プラザ)
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今後の活動
しばらくは「広島の音楽史」編纂プロジェクトに専念します。
被爆以前の広島の街や人びと、文化について明らかにすることで、原爆によって断たれたものが浮き彫りになると同時に、原爆にあっても壊されなかったもの、広島の地にしっかりと根付いた風土や文化特性というものがみえてくるのではないかと思います。
が、それを掘り起こしていくことも時間の経過とともに難しくなっていきます。
プロジェクトの一環として、往時の広島を知る人びとへの聞き取り調査も引き続き行っており、その多くは被爆者の方ですので、原爆の話とともにその前後の音楽活動の様子を聞き取っています。
また、すでに亡くなられた方のご遺族から音楽関連の貴重な資料の提供を受けることもありますが、持ち主にとっては貴重でも遺族にとってはゴミと判断される資料も多く、資料が廃棄される前に掘り起こしていく必要がありますので、やはり時間の猶予がありません。
やがて、このプロジェクトの成果がまとまってきた頃には、何らかの形で皆様に報告できるようにしたいと考えています。
「ヒロシマと音楽」委員会ウェブサイトはこちら>>
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(平成28年10月取材)
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