“平和について思う”
“世界を見つめ 地域に生きる” YMCA
 若い世代と共に歩む
広島YMCA 総主事 (公益財団法人 広島YMCA 理事長) 上久保 昭二
プロフィール
〔かみくぼ しょうじ〕
1951年10月22日京都生まれ。
広島大学教育学部卒業、広島大学大学院国際協力研究科修了。
1975年、広島YMCA奉職。広島・福山YMCA少年部主事職、東広島YMCA館長、米子・岩国のYMCA専門学校事業の事務長、国際コミュ二ティセンター事務局長を歴任。
日本YMCA同盟国際事業担当者として従事。2007年、福岡YMCA総主事就任。2010年、広島YMCA第8代総主事に就任。現在に至る。

 広島YMCAは1938年、戦争のさなかに設立されました。 キリスト教的平和的人道主義を掲げるYMCAの活動は制限され「沈黙しているほかない」状況でもありました。 特に軍部からの監視は厳しく「天皇陛下とキリストと、そのどちらが神であるのか」とか「教育勅語(ちょくご)とバイブル(聖書)とそのどちらが神の言葉であるのか」等というような監視が痛いほど身を刺したこともあったと聞いています。 しかし、敗戦を契機に大きく変わります。 多くの会員が亡くなり、衣食住のすべてを、そして家族や知人を失いましたが、生き残った会員達は、敗戦直後の1945年11月に集まり、「YMCAの復興こそが広島を復興させることにつながる!」という強く熱い思いから活動を再開させることになるのです。 会員の心の中にある、「少なからず戦争に加担をしてしまい、多くの命が奪われ、特に罪のない子ども達が親兄弟姉妹を失い、つらい悲しみと苦しみを与えてしまった」ということへの懺悔(ざんげ)の思いが、彼らを突き動かす原動力となりました。 翌年の11月には、現在位置している八丁堀(はっちょうぼり)の土地を借り受け、焼け野原の中で遊ぶ子ども達を集め、また広島市内の各所に子ども会を作り青少年教育を始めます。
 1959年代は、復興に向かう一方で原爆の影響による病魔が子ども達を襲います。 「原爆症」(急性白血病)で亡くなる子ども達がいまして追悼会が開催され、広島YMCAの一青年会員(河本(かわもと)一郎(いちろう)氏)が、「原爆でたくさんの学徒や子ども達が亡くなった。その人達の供養塔をみんなの手で建てませんか!」と提案しました。 これが「原爆の子の像建立運動」に発展します。 1958年(昭和33年)5月5日に除幕式が行われ、平和記念公園にある一羽の折鶴を両手に支えた少女の像「原爆の子の像」が完成しました。 その後、この建立運動に参加した子ども達は「折鶴の会」を結成し、事務局が広島YMCAに置かれることとなりました。
折鶴の会の集会 (原爆の子の像除幕11周年記念集会)
 また、河本一郎氏と子ども達は、1960年当時、取り壊しが検討されていた「原爆ドーム」についても、原爆の子の像の前でドーム修理費の募金と取り壊し反対の署名活動等「原爆ドーム保存運動」を開始します。 しかし、その活動に冷ややかな目もあったことは事実です。 原爆ドームがあることで忌まわしい過去を被爆者の方々が思い出すため、早く壊してしまったほうがよいという意見も市民の中にはあったからです。 その活動を進める中で、被爆者団体・反核団体からの原爆ドーム保存についての広島市への強い要請や広島市議会での多くの議論を経て、1966年ついに広島市議会が原爆ドーム永久保存を決議することとなりました。 平和を望み願う子ども達の懸命な努力と思いが平和を伝える原動力となったことは間違いありません。 広島YMCAは来年で創立80周年を迎えるにあたり、この歴史的事実はしっかりと受け止め、未来への礎にしたいと思っています。
 YMCAは、“公正な正義感をもって将来、地域・国際貢献を果たしてくれるであろう”子ども達や若者達の思いを大切に育てることを重要であると考え、その育成に力を入れています。  私共の平和・国際交流・国際協力の活動の中には、40年以上続いているものがあります。 1つは1961年から続く、ハワイ・ホノルルYMCAとの交流です。 お互いの地域の高校生がパール・ハーバーと広島の平和記念公園を訪れ、そこで何があったのかを知り、お互いの戦争について学び、平和について考えます。 56年の間で600人以上が参加し、世代を超えた交流が今もなお続いています。 もう1つは、1978年から続く「国際青少年平和セミナー」です。 多くの海外の若者や国内の若者が8月6日を中心に広島に集い、核兵器の非人道性と平和を学ぶプログラムです。
 YMCAは、国際NGO・NPOの一員として、草の根的にボランタリーに平和を願い行動します。 その活動を通して、参加者同士の友情と深い(きずな)が結ばれ(つな)がっていきます。 「友達のいる国とは絶対に戦争はしない。」と考え、「友達やその家族と殺し合いができますか」と訴える若者を増やすこと、まさに「友達づくりが平和の源」というのがYMCAの願いであります。 紛争や戦争・貧困・差別に対して「NO」と言えて、平和な社会の創造に「YES」と言って実行できる若い世代を育てることが、遠回りのように見えて、実は地域・国際貢献をめざすにあたって一番重要なことではないでしょうか。 広島YMCAはこれからも、若者と共に歩んでまいります。
(平成29年7月寄稿)
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