大中伸一さん (平成27年度から活動)
私は以前から広島県原爆被害者団体協議会のガイドとして平和記念公園で「碑めぐり」を通じて被爆の実相を子どもたちに伝えていました。
しかし、公園での案内では、多い時でも1クラス。
もっと多くの子どもたちに一度に伝えるために、被爆体験伝承者になりました。
また、被爆者が高齢化し、被爆の実相を次の世代に伝える必要があると感じていたことも理由の1つです。
私は新井俊一郎さんの被爆体験を伝承しています。
新井さんは当時の時代背景を分かりやすく話してくださいました。
直接被爆ではなく、後から広島市内に入って被爆した入市被爆者で、体には外傷がなく、「客観的」に被爆体験を話されます。
私の父も入市被爆者で、新井さんと同じような体験をしています。
新井さんは、本来なら、広島市内で「建物疎開作業」に動員されて亡くなっていたかもしれない中学生です。
新井さんが通っていた学校だけが、爆心地から約20km離れた東広島市に疎開中だったため、直接被爆をまぬがれました。
しかし、8月6日、母校に報告書を届けるため広島市に入り、「運命的な」被爆を体験されました。
私の講話では、新井さんの疎開先での生活や被爆時の体験、広島市内に入ってからの行動、そして何よりも、被爆体験から来る「仲間が原子爆弾によって殺された。原爆と戦争は絶対にいやだ」というメッセージを、現在の世代に伝えています。
講話では、できるだけ分かりやすく話をしたいと思っています。
そのために、なぜ広島に原爆が落とされたのかということや、原爆の熱線、爆風、放射線による被害の実相の話をしてから、新井さんの体験を話しています。
特に、放射線が人体にどのように作用するのかを話しておかないと、後から市内に入った人や、市内に入っていなくても救護作業や死体処理作業をした人々の被爆の実相は、理解が難しいからです。
1時間の講話のうち約45分間は「聞く方にとってはとても長く、話す者にはとても短い時間だ」と、話す側に立ってみて、初めて感じています。
スライド資料を見せながら解説し、来場者の視覚と聴覚に訴えています。
「分かりやすかった」、「よく分かった」という感想を聞くと、とても安心しますが、無反応の場合もあります。
毎回、毎回が反省の連続です。
核兵器の恐ろしさは、まだまだ知られていません。
できるだけ多くの方々に被爆の実相を伝えたいと思っています。
できれば全県で講話を行いたいです。
核兵器をなくすため、戦争の防止や核兵器禁止条約の展望についても語りたいと思っています。
核兵器禁止条約の理念が書かれた「前文」には、現在および将来の世代のため、平和・軍縮教育の重要性が盛り込まれました。
伝承活動が平和教育の一環として重要だという点を肝に銘じ、頑張りたいと思います。
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