和文機関紙「平和文化」No.218, 令和6年12月号
“私の覚え書き”

Hibakusha が英単語になる一石として

ふじい しょういち

藤井 正一

JICA講師、元広島市国際交流課長
藤井正一氏
ふじい しょういち

藤井 正一

JICA講師、元広島市国際交流課長

 2024年12月10日、日本被団協がノーベル平和賞を受賞しました。 このことは、日本人として広島市民として大きな喜びです。 毎日新聞英語版の社説を見ますと、“Voices of hibakusha reaching the world” と書かれており、また、各種の英文ニュースでも英単語 hibakusha が使われていました。
 さて、hibakusha が英単語として認知されました経緯に、広島市長が宣言されます平和宣言が一役を担ってきたことをお伝えしたいと思います。
 私は1985年から1992年まで広島市国際交流課長を務めておりました。 当時は市長訪問の英語通訳、広島市への賓客(ローマ法王、国賓、大使など)の受け入れ、平和宣言の翻訳、平和連帯都市計画、アジア大会招致などを担当しておりました。
 当時は、原爆被爆者は英文で atomic bomb survivors(原爆生存者)と表現するのが一般的でした。 従いまして広島市では長年、hibakusha (atomic bomb survivors) と表現しておりました。
 そうした中、1985年、バーバラ・レイノルズさん(被爆者に同行し、米国、欧州など世界平和巡礼旅行を2回実施。1965年ワールド・フレンドシップ・センターを設立、広島市特別名誉市民)から次のご指摘をいただきました。 「藤井さん、長年大勢の被爆者とお会いしてきました。被爆者の方々は生存している限り、肉体的、精神的な苦しみは保持します。Survivor(生存者、生き残る人)は最終的に病気、災害から生きのびて元気回復するのよ。だから、被爆者の英語表現は、hibakusha が英単語として定着することが不可欠ですよ。」と。
 当時、荒木(あらき)市長及び関係者にバーバラさんのご助言を一生懸命にお伝えしました。 その結果、周囲からの理解も得られ、1988年の平和宣言から hibakusha として単独で表示するようになりました。
 広島市の平和宣言は、毎年8月6日午前8時15分に、世界中に発信されます。 私は広島市の決断が、hibakusha が英単語に定着しました一因であると考えております。
バーバラ・レイノルズ氏記念碑
平和記念公園内のバーバラ・レイノルズ氏記念碑
“I, too, am a hibakusha”(私もまた被爆者です)と記されている。
 
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