和文機関紙「平和文化」No.219, 令和7年3月号

広島平和記念資料館本館常設展示資料の入替

「市民が描いた原爆の絵」

 資料の劣化を防ぐとともに収蔵資料の公開を促進するため、平和記念資料館は常設展示の被爆資料と「市民が描いた原爆の絵」の原画を定期的に入れ替えています。 このたび、2月21日に「8月6日の惨状」コーナーと「魂の叫び」コーナーの資料を入れ替えました。
 「魂の叫び」コーナーにおいて「市民が描いた原爆の絵」の原画を展示するスペース「絵筆に込めて」では、「国民学校の惨状」をテーマに展示しています。 当時広島市内に40校近くあった国民学校では、子どもが校内で多数死傷しました。 さらに救護所となった学校では、運び込まれた負傷者が次々に息絶えました。 「市民が描いた原爆の絵」には、その惨状を描いた絵も少なくなく、子どもたちがどのように犠牲になったか、救護所の状況がいかに凄惨であったかを伝えます。
きれいに染まり、様々な模様ができました
六日の朝まで元気に遊んでいた友達(作 八木義彦)
 この絵は展示中の原画6枚のうちの1枚で、被爆2日後の白島(はくしま)国民学校の様子です。 作者の八木義彦(やぎ よしひこ)さん(当時11歳)はここで倒壊した校舎の下敷きになりましたが、奇跡的に助かり、いったん市外に避難しました。 8月8日早朝、家族の捜索のため再び市中心部に入り、この光景を目撃しました。 校庭の柳の木の周りに転がっている黒焦げの子どもたちの亡骸。 これを焼け残りの木材と見分ける術は、ハエが止まっているか否かであった、と八木さんは絵の裏に書き添えています。
 本来子どもたちの元気な声が響くべき学校で失われた無数の命。 戦争とは何かを絵から感じ取っていただければと思います。 (このたびの展示は9月初旬まで。)
(平和記念資料館 学芸課)
 
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