2015年NPT再検討会議を傍聴して
プロフィール
〔ふくい やすひと〕

1964年兵庫県生まれ。 パリ第1大学で博士号(法学)を取得。 専門は国際法(軍縮国際法、国際人権人道法等)。 2015年3月に外務省を退職し、広島市立大学広島平和研究所に赴任。 主な著書は『軍縮国際法の強化』(信山社(しんざんしゃ)より2015年2月刊行)。

ニューヨーク国連本部で核兵器不拡散条約(NPT)再検討会議が開催されましたが、今年は広島・長崎被爆、太平洋戦争終戦70周年の特別な年であったにもかかわらず、残念ながら最終文書に合意できませんでした。 東西冷戦終結後に限っても、NPTを取り巻く国際情勢は大きく変化しているものの、核軍縮・不拡散の進捗(しんちょく)状況は残念ながら芳しくないのが実情です。 私は15年前の2000年NPT再検討会議には日本政府代表団員として参加し、今回は広島平和研究所研究員としてNGO枠で会議を傍聴しました。 振り返ると、2000年NPT会議の時は最終日夕方の段階で最終文書案に合意ができず、真夜中に議長が時計を止めることを宣言して会議を続け、翌日土曜日の午後まで交渉してようやく合意した記憶が今も鮮明に残っているだけに、今回5月22日夕方にあっけなくNPT会議が終了するのを国連総会会議場で目にして、正直なところ個人的に非常に落胆した次第です。 この記事をお読み頂く方の中には、長年核廃絶運動に取り組んでおられる核軍縮専門家の方のみならず、一般の方等様々な方がいらっしゃると思いますので、まず、NPT再検討会議がどのように開催されるかについて簡単に説明させて頂いた後に、今回の会議の帰趨(きすう)、更には今後の課題にはどのような点がありうるか書かせて頂きたいと思います。
  最近、核兵器が使用されないようにと心から祈ったと、米国で核兵器開発に従事した科学者による証言インタビュー記事を読みましたが、核爆発を実際に目にするだけでも恐ろしいもので、広島・長崎が経験した被爆の実相というものがいかに壮絶であったかとの証左に繋がるものです。 冷戦下では熾烈な核開発競争が進行する中で、核兵器が他の兵器と比較にならないくらい非人道的なものであることは、国際社会からも強く認識されておりました。 このため、国連総会は1961年に核兵器の不拡散を求める決議を採択し、この決議が核兵器の不拡散を求める条約交渉の端緒となり、国連総会は1967年6月12日にNPTを採択しました。 NPTは核兵器の拡散を防止することを目的として、核兵器国による核兵器の移譲等の禁止、非核兵器国による核兵器国からの核兵器の受領、製造等の禁止、保障措置、原子力の平和的利用、核軍縮の誠実な交渉義務等について定めている核軍縮・核不拡散体制の基礎となる重要な条約です。
  NPT再検討会議は5年に1度の頻度で、NPTの前文の目的の達成度、条約の定める具体的な内容の実施状況を検討するために開催されます。 過去のNPT再検討会議を見てみますと、最終文書採択に成功したのは1975年会議、1985年会議、2000年会議、2010年会議であり、核軍縮を進める上で重要な指針となっている13の実践的ステップ、2010年行動計画といった文書が合意されています。 もっとも1995年会議では、3つ決定(条約の再検討プロセスの強化、核不拡散・核軍縮の原則と目標、NPTの無期限延長)に加え、中東非大量破壊兵器地帯会議についての決議を採択しております。 今回のNPT再検討会議が失敗した原因分析、今後の課題を考える上で無視できないことは、この1995年NPT再検討会議によりNPTの無期限延長が決定されたのと同時に合意された核不拡散・核軍縮の原則と目標、中東決議が、その後20年間にどのように実施されたか問われたのが今回のNPT再検討会議と言えます。
  NPT再検討会議の前には3回の準備委員会が開催されますが、そこでの議論を基にNPT再検討会議が5年目に4週間の会期で開催されます。 第1週目は閣僚クラス等代表団長レベルによる一般討論演説が国連総会会議場で開催されます。 第2週目からは、3つの主要委員会(核軍縮、核不拡散、原子力の平和的利用)及び必要に応じて下部機関が設置され最終文書報告書の素案が審議されます。 更に、各主要委員会からの報告を踏まえて統合された最終報告書案が作成され、最後の第4週間目には起草委員会や全体会合で審議されますが、実際には合意困難なことが多いため殆ど非公式協議の形で非公開の交渉により行われます。 なお、核廃絶については市民社会の関心も大きいことから、特に会期前半には様々なサイドイベント、NGOセッションも開催され、世界各地から多くの人がNPT会議に集まります。
  今回のNPT再検討会議の議長はフェルーキ・アルジェリア外務大臣顧問で、アルジェリアが議長を務めるのは2000年会議の際にバリー・アルジェリア国連常駐代表が議長を務めて以来2回目です。 私自身も、包括的核実験禁止条約(CTBT)発効促進会議や国連麻薬委員会等の機会に当時ウィーン代表部大使をしておられたフェルーキ議長に少しだけお話をさせて頂いたことがありますが、はつらつとされ、非常に粘り強くタフな女性外交官との印象を与える方です。 NPT再検討会議の成否に大きな影響力を有する非同盟諸国(NAM)やアラブ諸国等との関係もあり、今回のNPT再検討
2015年NPT再検討会議(国連総会議場)
会議の議長には適任の方でした。 そのようなフェルーキ議長の努力をもってしても、核軍縮・核不拡散及び原子力の平和的利用の3つの主要委員会の中でも、特に核軍縮についての第1主要委員会での見解の隔たりの大きいまま会議が進行しました。 20日全体会合において、フェルーキ議長より19日の段階で全ての主要委員会での合意形成ができず、特に核兵器使用の非人道的影響、核軍縮の効果的措置(第6条)、核兵器国の報告義務の3点で乖離(かいり)が大きい旨説明が行われました。
   その後も最終日の前日21日深夜まで非公式協議が行われたものの見解の相違は克服できなかったため、フェルーキ議長の責任で作成された最終文書案(NPT/CONF.2015/R.3)が配布されました。 同案を巡り最終日21日に非同盟諸国(NAM)等をはじめ非公式協議が断続的に行われるのと並行して各国代表団は本国政府に議長案の受入れ可否を照会していたようです。 そのうち、夕方5時頃に本会議が再開され、フェルーキ議長から各国に議長提案に合意することを促す発言がありました。 それを受けて先ず、チュニジアが受け入れ可能であると発言したものの、続く英国、米国、カナダがコンセンサスに参加出来ないと発言し、特に米国は中東非大量破壊兵器地帯会議の関連で、具体的な議題等につき関係する中東諸国間でコンセンサス合意されず、会議開催期限の設定が恣意的であるとして受け入れがたいと議長案受入れを拒否する理由を述べ、NPT再検討会議が失敗に終わったことが確定しました。 ちなみに、オーストリアの誓約をはじめ核兵器の非人道性会議等で活躍したことから注目されたクメント・オーストリア軍縮大使は、既に会議が事実上決裂したことを事前に知っていたものと推察されますが、本会議の再開前に議場から市民団体や報道関係者が見守るギャラリーに顔を出され、4週間の会議の帰趨を見守った市民団体関係者の労をねぎらいつつ、報道関係者のインタビューにも気さくに応じていたのが非常に印象的でした。
  次回の再検討会議は2020年に開催される予定ですが、今後5年間に核軍縮推進のためにいかに取り組むのかという指針を設定することができなかった中で、今後の課題としてはどのようなことが考えられるでしょうか。 まず第一に、再検討会議の失敗による負の影響をいかに極小化するかということだと思います。 そもそも今回の会議の失敗の背景要因として、核軍縮分野での目立った進捗が見られない中で不満を募らせる非核兵器国、既得権を死守しようとする核兵器国との対立がますます顕著になったことがあげられます。 そのような中で中東、北朝鮮等の地域問題も含めてNPTの枠組みの中で何が可能か、現状からの出口戦略の策定が不可欠だと思います。 特に中東問題では当初6月末を期限に交渉が行われていたイラン核開発問題についての包括的合意の動きも踏まえ、これらを突破口に解決の糸口を見出す必要があり、会議の失敗原因になりかねない要因を可能な限り事前に除去して、5年後の再検討会議に臨む必要があります。
  特に日本の課題としては、近年、核兵器の非人道性に着目して核廃絶を進める試みがなされる中で、残念ながら日本は唯一の被爆国としての立ち位置が問われるようなことも生じており、核兵器禁止条約交渉開始に向けての努力も含め目に見える具体的な軍縮・不拡散外交を進めることが重要です。 出張前に見た市民団体ホームページに、原爆展等のサイドイベントに参加される被爆者の方が、次回は健康問題もあり参加できないかもしれないと述べておられたのを非常に悩ましい思いで読みました。 被爆者の高齢化という広島・長崎の抱える現実の問題に応えること、軍縮会議でCTBT交渉後の次の課題とされた兵器用核分裂性物質生産禁止条約交渉の開始が15年以上出来ない中で、ステップ・バイ・ステップ方式が重要と述べるだけでなく、一定の期限・目標を設けての核軍縮交渉を進めることを真剣に検討する時期に来ていると思います。
  ちなみに、最終週は交渉の殆どが非公式協議として開催され交渉がブラック・ボックス化する傾向にある中で交渉プロセスの透明性の確保は重要です。 今回は市民団体 Reaching Critical Will が独自に入手した文書がネットを通じて即座に広く提供されたので、報道関係者のみならず多くの市民団体も利用していました。 日本からの報道関係者には政府代表団からブリーフィングが行われていましたが、私を含め市民団体の傍聴者は他国の代表団関係者や市民団体の方から話を伺う状況でした。 私自身20年前に北京女性会議に日本から参加した時には、報道関係者のみならず市民団体の方にも随時状況ブリーフィングをアレンジしておりましたが、クメント・オーストリア軍縮大使が示したような、会議を傍聴する市民団体の方への配慮も忘れないで頂きたいと思います。
(平成27年6月寄稿)
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