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サダコと原爆(げんばく)

1 サダコさんのたん生

佐々木禎子(ささきさだこ)さんが生まれたのは、
太平洋戦争のさなかでした。

佐々木理髪(りはつ)店に赤ちゃんがうまれた。

1943(昭和18)年があけてまもない1月7日の真夜中、広島の佐々木理髪(りはつ)店に女の子がうまれました。

「禎子(さだこ)」という名前は、お父さん、お母さんが、元気に育つようにと願いをこめて、店のお客さんのせい名はんだんの先生にたのんでつけてもらったものです。

戦争がみんなのくらしをかえていった。

戦争が長引くにつれ、人々のくらしは苦しくなっていきました。サダコさんがうまれた年、お父さんは兵隊に行くことになりました。そして、広島の陸軍病院でけがや病気になった兵士たちをかんごするえい生兵になりました。

お父さんがいない間、お母さんが親せきの人にてつだってもらいながら理はつ店をつづけていました。

サダコさんの家族 お父さんの繁夫(しげお)さん(うしろの列右端)
お母さんのフジ子さん
ひざにだかれているのがサダコさん(まん中の列右から2人目)
おばあさん(お父さんのお母さん)のマツさん(まん中の列右から3人目)
お兄さんの雅弘(まさひろ)さんはまだ2さい (まえの列右から3人目)
(1943年10月ごろ、ていきょう:佐々木繁夫・雅弘)