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サダコと原爆(げんばく)

4 サダコさん12さい

1955(昭和30)年~
被爆(ひばく)後10年がすぎ、
広島のまちも人々の生活もおちつきをとりもどしてきました。
しかし、サダコさんは体の具合が悪くなってきました。

サダコさんの入院

サダコさんの体の調子がおかしくなったのは、運動会のリレーでゆう勝してまもなくでした。かぜをひいたとき首のまわりにできたシコリが消えなくなったのです。1955(昭和30)年があけたころには、とうとう、顔がはれて見えるようになってしまいました。

いろいろなけんさの結果、2月になって、医しがお父さんに「サダコさんは白血病で、長くても1年の命でしょう」とつげました。そして、サダコさんは広島赤十字病院に入院することになりました。
竹組のお友だちは、サダコさんのために自分たちにできることを話し合い、交代でお見まいにいくことにしました。

サダコさんが大切にしていたこけし所ぞう:広島平和記念資料館
きぞう:佐々木繁夫・雅弘

白血病とは

白血病とは、血液のガンです。せん門家の調さで、ばく心地に近いところでひばくした人ほど、年の若かった人ほど、白血病になりやすいこと、そして、1952~53年ごろに一番たくさんの人が原爆(げんばく)による白血病になったことがわかっています。

折りづるにお願いしたこと

入院して5カ月たったころ、同じ病院に入院していた5さいの女の子が白血病でなくなりました。「わたしもあのように死ぬのだろうか」──サダコさんはポツリと口にしました。サダコさんは、自分が血えきの病気であることを知っていたのでしょう。12さいで、死のきょうふとたたかっていたのです。

8月、名古屋の高校生たちが入院かん者にお見まいの千羽鶴(せんばづる)を送ってきました。色とりどりのセロファン紙で作られた折りづるは、サダコさんたちの部屋にもとどけられました。

サダコさんがツルを折りはじめたのは、このあとでした。「ツルを千羽折ったら願いがかなう」といういいつたえをきいて、「元気になりたい」という願いをこめて、一生けん命折りつづけたのです。

サダコさんが折ったツル所ぞう:広島平和記念資料館
きぞう:空田寛美・幡生昌子(サダコさんのお友だち)

サダコさんの命の火が消えた。

1955年3月
さつえい:野村 剛
ていきょう:那須(なす)正幹(まさもと)
幟町(のぼりまち)小学校の卒業式を前に、外出きょかをもらって竹組のお別れ会に出席したときのサダコさん。サクラのもようのきものは、入院することになったとき、お父さんとお母さんが買ってくれたもの。

サダコさんは、「いたい」とか「つらい」と口にすることはありませんでした。ただ、いのりをこめて、ツルを折るのです。でも、病気は進んで、熱があがり、頭がいたくて眠れない日がつづきます。それでも、サダコさんは必死でツルを折りつづけました。
そして、10月25日の朝、サダコさんはとうとう12年のいのちをとじたのです。
運動会のリレーで竹組がゆう勝して、ちょうど1年がすぎたころでした。